2019年10月31日木曜日

リレーコラム⑦

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第7回は細川先生の登場です。



3の時に考えていたこと

みなさん、こんにちは。
AAの細川です。

今回は、私が「高3の時に考えていたこと」についてお話ししようと思います。

といっても私が高校3年生だったのは、4年前。。
記憶もあまり定かではないですが、思い出せる限りお話ししていこうと思います。

私が高3の時に、考えていたことは2つですね。

1つ目は、「センター8割とれるように勉強しないと」ということです。

私は、高1の時から、横国の教育人間科学部に行きたいと思っていました。
というのも、教師になりたいと小さい頃(小学生あたり?)から思っていたんですね。
そのため、教員免許が取れる大学に行きたいと思ったのです。

そこで私は、勉強を本格的に始める前、大学合格にはどのくらいの点数を取れる力が必要なのかを考えました。すると、横国教育人間科学部の場合、センターで8割を取れば、2次試験で半分取らなくても合格できる!という感じでした。
なので、勉強では常に、「センターで8割とれるように頑張る」ということばかり考えていました。

逆に言えば、横国合格以外は考えていなかったので、
私立の難関大学に合格できるくらいまで勉強しよう!などとは思っていませんでした()
実際、私立大学にはあまり合格しませんでしたしね、、、
ボロボロのボロでしたね。

まあ、第一志望に合格したので、よいでしょう。
万々歳ですね。
こんなのが、1つです。

2つ目は、「遊びをいつまで許すか」ですね。

やっぱり、勉強していても、遊びたいじゃないですか。
私も、好きな人のライブや舞台、イベントに行きたい!!!!と思っていました。
でも、勉強となると、そんな遊んでばかりじゃいられないのだろうな、、、
と思ったわけです。

もし、遊びまくって、志望校に合格できなかったら、
落ちたのは遊びのせいだと思って、自分の好きなものを嫌いになってしまうかなとも思ったのです。

そこで、自分の中で遊びのラインを決めることにしました。
私は、5月のライブを最後にしようとしました。
夏休み前に、遊びは最後にした方がいいかと思ったからですね。

ただ、やはり、夏休みにずっと勉強はつらすぎる、、、
ということで、夏休みに1度だけイベントに行きました。

でも、それ以外は遊びをなくし、勉強を頑張ったと思います。

と、こんなところですかね。はい。

みなさんも、後悔のない時間を過ごしてほしいなと思います。
頑張りは、報われるもののはずなので。

困ったら、ぜひAAに気軽に話してもらえると嬉しいです。
そのために、私たちAAはいますしね。
もちろん、困ってなくてもいろいろお話してもらえると嬉しいです。
今回は、この辺で。

おしまい。

2019年10月11日金曜日

リレーコラム⑥

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
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テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第6回は水谷先生の登場です。

1年水谷怜央那


 リレーコラムの番が回ってきたので、私も去年何を考えていたかを振り返ってみた。
振り返ってみた結果、恥ずかしいことながら、櫻井先生のように世界を変えるという壮大でかっこいい夢や戸崎先生のような絶対に薬剤師になってやるというような確固たる意志を私は持っていなかった。もちろん何も考えずに生きていたわけではない。
 周りの大人たちに将来やりたいことを決めて、早く志望校を決めなさいとずっと言われ続けてきたので自分なりに将来のことを考えてはいたが、私はもともと飽きっぽい性格であることもあり、決めた夢をずっと追いかけ続けられる自信もなかった。
 しかし、そんな私でも目指してみようかなと思える目標ができた。将来やりたいことなんてまだ決められない、というよりわからないという人は、私以外にもきっとたくさんいるはずである。そんな人達のために少しでも力になれたらという思いで、私が目指してみようかなと思える目標を持てたきっかけ?経緯?を書き記したいと思う。
 知っている人も多いかもしれないが、私はずっとサッカーを続けており、高校でもサッカー部に所属していた。部活に所属する多くの3年生が夏休み前に引退して、受験勉強にシフトしていくなか、サッカー部は1次予選を勝ち上がったため、9月の半ばまで活動が続くこととなった。もちろん、より上に勝ち上がることがチームの目標であったため、9月まで部活を続けられることは嬉しいことではあった。しかし、受験勉強のことを考えると心配なところもあった。
 正直なことをいうと、夏休み期間受験勉強とサッカー部を両立させることはとてもしんどかった。体力的にもきつかったが、そんなことよりも周りが今日は何時間勉強したといったことを話していることを聞いている時が一番きつかった。どんなに頑張っても勉強時間では勝てないことや周りから聞かされる受験の厳しさで今のままで本当にいいのかという思いで毎日を過ごしていた。そんな風に過ごしていた夏休みの間に、目指してみようかなと思える目標を持てるきっかけがあった。
それはサッカーのロシアワールドカップである。こんなことを言うとマナビスの方には怒られてしまうかもしれないが、私は、どうしてもみたい試合だけ見ていた(ごめんなさい)。もちろん試合も手に汗握るものばかりではあったが、私が特に興味を持ったのは試合前に放送されるチームや選手の紹介ムービーである。その試合の注目選手の経歴やスーパープレーの映像を見て、私はそのあとの試合を見るのがもっと楽しみになっていた。
 試合を盛り上げていくのは、選手や現地のサポーターだが、現地にいない日本のサポーターや今までサッカーに興味がなかった人達の熱狂を生み出すのはテレビなどメディアの影響が大きなことに気づいた。そのことに気づいてから、私は見ず知らずの人に様々な感情を抱かせることができる映像製作に関係する仕事についてみたいな何となく思うようになった。
 長々と書いてきたが、私が伝えたかったことはやりたいことは意外と近くに転がっているということといつか変わってしまうかもしれない夢や目標でもとりあえず目指して、目標が変わったら変わった時点で、またその時考えればいいということである。
 まだ、19年しか生きていない私がこんなことを言うのもおかしなことかもしれないが、私の経験が少しでも他の人のためになればと思う。
 
 では、次の人にバトンタッチ!!

2019年10月10日木曜日

リレーコラム⑤

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
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テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第5回は久松先生の登場です。

こんにちは!

上智大学 文学部 新聞学科3年
久松美波です。


高校3年生。
今からもう3年も前のことなのに、まだまだ鮮明にあれこれ思い出されます。
楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと。
受験生という平坦な毎日を過ごしていたからこそ、些細な出来事も記憶に残っているのかもしれないですね。

今から9年前、私は鎌倉女学院という地元の中高一貫校に受験をして入りました。
華やかで優雅な夢の女子校ライフ、、、と思いきや、私が入学したのはどうやら動物園だったみたいです。とても「可愛らしい」とはいえない学校生活でしたが、私にとっては賑やかで楽しい毎日でした。でも、中学3年生の時と高校1年生のときは魔の2年間でした。特に理由はないのですが、あまりにも刺激の毎日に少し飽きてしまったのです。地元の公立高校に友達が入学し始めていくと、急にみんながあか抜けていって、いわゆる「JK」になっていったんですね。高校受験もなかった私にとってなんだかこの時期はすごく自分の生活が閉鎖的でつまらなく思えました。これって中高一貫あるあるですよね?(違うかな)

あとは、あれだ。
自分が悪いんですが、私成績が全く良くなくて。
5回バレエの稽古に通って終電帰りをする日々だったといういい訳も一応あるのですが、もちろん私の努力不足でもありました。成績は下から数えた方が早いのは当たり前。数学は追試じゃない時の方が少ない。まさに、「沼」の時期でした。

そんな毎日が一転したのが高校3年生の4月。周りがどんどん受験生になっていくのにつられて、私もなんとなく受験生になっていきました。この時にマナビスにも通い始めました。それこそ、もっとつまらない日常になっていったと見えるかもしれないですが、、、大学受験はまさに、私にとって「刺激」でした。こんな一大イベントに参加できるのは人生一回きりですからね。謎に私のエンジンは全開になっていきました。学校の成績も苦手だった理系科目がなくなったことから急上昇し、波に乗りました。

今、勉強さえ頑張れば待っているのは人生の夏休み!(大学生活のこと)

この浅はかな希望さえも勉強の支えになりました。
志望校の設定や、この学部を選んだ理由について、よく聞かれますが、正直「フィーリング」です。なので、系統問わず、色んな大学や学部を受験しました。どこにしろ、入学したら道は開ける、そう信じていました。こんな楽観主義者あんまりいないですよね

でも!実際その通りでした。大学に入りさえすれば道は開けるものです。興味の幅って無限大ですからね。万歳!

高校3年生の時の私、勉強を頑張ってくれてありがとう。

今でもこの気持ちでいっぱいです。

一人でも多くの受験生の健闘を祈っています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

2019年10月1日火曜日

リレーコラム④

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
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テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第4回は中澤先生の登場です。


中澤透子です。よろしくお願い致します。


私は小学生の頃、「毎日同じ制服を着るのがいや」という理由で
中学受験をし、中高一貫の制服のない学校に通った。

中学でバスケ部に入り
高校三年生5月の引退までそれなりに忙しい日々を過ごしていた。

数学が得意で暗記が苦手だったのでとりあえず理系に進み、
進路をちゃんと考えるようになったのが高校三年生の時だった。


正直なりたい職業なんてなかったけれど、
漠然と「世の中を良くしたい」とは思っていた。

特に環境問題については優先して取り組むべき課題だと考えた。

そこで、工学部に進みエネルギーや機械工学を学び、
環境にやさしい発電技術の開発などをやろうと思っていた。

結局浪人時に時代はバイオだと思い進路は変えてしまったが。

志望校を東大にしたのは高三の夏休み前だった。

理由は、学費的に国公立が良かったのと、
塾や学校の先生に東大も狙えなくはないと言われたこと、
志望校が東工大のままだと夏休みに
何となく手を抜いてしまいそうだったからだ。

志望校を決めてからはたくさん勉強した。
あと、どうすれば自分の成績が効率よく伸ばせるかを考えた。

つらいこともたくさんあったけれど、
塾の授業ははじめて聞く話ばかりだし、
勉強すれば問題は解けるようになっていくし
結構楽しんで受験勉強していたと思う。

以上が私が高校三年生の時考えていたことだ。
このしょうもない世の中、少しはましにしたいですね。
読んでいただきありがとうございました。