2019年9月6日金曜日

リレーコラム③

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第3回は社員より、纐纈先生が登場します。

高校は制服も校則もない
「自由」の塊のような場所でした。
高3の時に何を考えていたかというと、
めっちゃくちゃ人生について
悩んでいたようで、実のところ
それほど考えていなかったいうのが正解です。
でも、なんかデカいことや楽しいことやりたいなーって。

僕の高校は東京都立大学附属高校というところで、
当時は大学だけ首都大学東京っていう
キラキラな名前に変更されてました。
首都大の影響もあり地理や地学の学習と
第二外国語に力を入れられてるカリキュラムで
高校2年生までは8時間目まで授業がありました。
8時間目まで授業して部活やって、、へとへとで。
友達と都立大学駅前のファミレスで部活終わりに
夜遅くまで夢を語ってゲラゲラ笑ってる高校生でした。
帰り道はできるだけ遠回りして
好きな子たちと一緒にいたい毎日でした。

高校3年生からは
午前中までしか授業がなくて、
0時間目という日本史・世界史の
補習授業があるだけで、
午後はみんな塾や自習をしようっていう
スタンスの進学校。
なんとですね、僕はクラスの男子で
一人選ばれる奨学生になり
毎月6万円お小遣いをもらいました。
全部、洋服に消えました。

生徒の半分は推薦で進学が決まる中、
僕は「推薦」の余白を残しながら
一般受験をしました。
そんな中で、音楽大学に行くか、
一般大学に行くかで迷っていて(悩んではない)
夏休みは1週間音大の夏期講習に通い、
河合塾とトフルアカデミーの夏期講習に通いながら
9月の文化祭の準備をして、
学校の音楽室で一日5時間以上ピアノを
弾くという多忙な受験生でした。

実はずっと本格的にバンド活動をやっていて、
(この後CDデビューをしてアルバムの発売に合わせて
全国ツアーに出るという経緯があるのですが、、、iTunesストアで
アルバム買えるので買ってください(笑))
大学で作曲や音楽の勉強をするか、
一般大学に通いながら
音楽を続けるか夏休みを過ぎても決めきらずに、
ひとまず音大の秋の給費推薦入試を受けました。
まぁどっちにしろ音楽をやりたかったんですね。

高校では音楽の先生と週2で近くの蕎麦屋にランチに
行くほど仲が良くてエアコン効き放題の
音楽準備室の合鍵ももらってました。
音大への推薦も高1からコードの作曲を教えてくれてた
音楽の先生がお勧めしてくれました。
この先生には感謝ですね。
でも、私立の音大の学費は医学部に並ぶくらい高額で
全学学費免除で合格したら音大に行こうって思ってたので、
先生の推薦もあり半額給費で合格できたのですが、
半額でも一般大学の倍くらいなので音大は断念して、
ずっとあこがれていた
上智大学に行こうって一般受験に踏み切りました。

まぁ、結果はわかりますよね。
どっちつかずでいることは
どっちも得られないってことです。
この時、早い段階で自分の進路を一つに絞れて
直進できていたらまた違った人生だったのかも知れません。

結果、バンドマンをやりながら大学も楽しんで、
全国ツアーをして学祭実行委員長やって
好きなバンド呼んで、広告会社に就職して
近くの大学の文学部に通いながらコピーライターとして働いて、
友人と会社を立ち上げ、事業拡大で沖縄に一年間住んで、、
なぜか今はマナビスで働いています。

現役時代の大学選びに迷った僕は、
それから一つのことを決めたらそこに向かって
一直線に進んでいくことを学びました。
そしたら、意外と自分のやりたいって思ったことは
できている人生です。
まぁ、その分失敗も数えきれないくらいしてます。

色々迷うことがたくさんあると思うけど、
まず1つに決めてみて、そこにひたすら進んでみる!
まっすぐに進んでいけるということも若さの特権です。

そして、一つ成功すると
また次のチャレンジをするときに成功の方法を
知っているので成功しやすくなります。
正の連鎖です。

まずは成功を1つつかみ取って欲しいですね。
つまづいてもぶつかっても
ヨロヨロと立ち上がって!!
夜明けまではかっこ悪くていいって聞きました。


今思えば、高校や大学時代は自分の黒歴史だらけです。
恥ずかしいことばっかりです。
気絶しそうです。
ノートに書き溜めた歌の歌詞とか
当時書いてた日記とか、プリクラとか
もう絶対に見れません。
海底500mくらいまで沈めてしまいたいです。

甘酸っぱいですね。青春って。

みんなも
たくさんのことに、恋してください。

ぶっさんでした