2019年12月14日土曜日

リレーコラム⑫

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第12回は磯野先生につづき、AAの橋口先生の登場です。






皆さんこんにちは!橋口です。勉強の息抜きにでも読んで頂けたら嬉しいです。

さて高校生の時の僕は他のアドバイザーの方々のように具体的な夢があったわけではなく、勉強もなんとなく人並みにやっている感じでした。

しかしそんな僕を変えたのは父親の言葉で、高3の僕はこれを勉強の原動力としていました。

僕の父は国公立医学部に現役合格している強者です。
そんな父からすれば、僕がそこそこにやった程度の成績では満足してくれないわけですよ。
「ふーんこんなもんなのか、ちゃんと勉強してるのか?」「やってるわ!!」「もっと努力しろ!!!」などと模試の度に大喧嘩。

そしてある日、喧嘩の中で僕は
「親父みたいな天才に凡人の俺の気持ちが分かるか?!」と言い返したことがありました。
すると父は
「俺が努力せずして医者になったと思うか?」と静かに返してきました。さらに
「俺は人並み以上に努力をしてきた、天才だとか云々は努力してから言え。」と。

この言葉こそ僕を努力の鬼に変えるきっかけとなった言葉でした。
それまでの僕は
「自分はどうせ凡人だから努力したって親父みたいな天才には勝てないのだ」とか
「努力してできなかったら自分に才能がないことが証明されるみたいで嫌だ」と才能を言い訳にしてどこか限界まで努力することから逃げているようでした。
でもこの言葉を聞いて天才だと思っていた父もめちゃくちゃ努力してきたのだと知り、努力の大切さと自分の努力の未熟さに気づいたのです。

「まず限界まで努力して、それから天才の親父を黙らせてやろう。」
そう心に決めて僕は勉強に打ち込みました。
もちろん現実は厳しいので気持ちを切り替えて頑張っても結果が出ないときもあり、また父に煽られ、死ぬほど悔しい思いをし、何度も泣き、何度も壁パンをしました。笑
でもこの地獄のような苦しみは限界すれすれまで努力をした証であり、それを心折れそうになりながらもさらなる努力で乗り越えようとしてきたからこそ、今の僕があるのだと思います。
才能とかを言い訳に辛くない程度の努力を続けていたら凡人以下で終わっていたかもしれません。逆にもう少し早くから頑張っていたらハーバード大学を目指せていたかもしれませんね。笑

これを見てくれている生徒の皆さんの中にも頑張っているつもりなのに成績が伸びず、自分が嫌になるという方がいるかもしれません。でも勉強はゆっくりでもいいので止めずに続けて下さい!
「努力してもダメだったから、自分には才能がない」は確かにその通りかもしれません。
でもその時は「まだ限界まで努力できていない」ことにすればいいのです。そうすれば誰もあなたの底力は否定できません。何度だって立ち上がればいいのです。そして最後まで諦めずさらに努力を重ねれば一つ上の自分に出会える可能性があるはずです!

受験は本当にキツいですが、乗り越えた先に色々なことが待っているはずです。
僕の場合、受験期は大嫌いだった父が僕の慶應や横国の合格を喜び親戚に逐一報告していたことを知った時はとても嬉しかったですし、今や仲直りをしてよく一緒に泥酔しています。笑
         皆さんにも幸あれ!心から応援しています!!! 


リレーコラム⑪

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第11回は小寺先生につづき、AAの磯野先生の登場です。






こんにちは!
横浜国立大学 理工学部 化学・生命系学科 化学EPの磯野元志です。
よろしくお願いします。

高校3年生のとき思っていたこと、ですが思い返すと色々なことがあったなと懐かしいです。あの頃の自分はとにかく成績が悪かったのを覚えています笑。

私は中学から今までずっと吹奏楽を続けていますが、中学の吹奏楽部が超強豪で、中学3年生の時に全国大会に出場しました。その結果高校受験の勉強を始めたのが12月からと遅かったのです。勉強をあまり出来ないまま高校入試当日を迎えました。しかし、自分の得意な問題が多かったのもあり、柏陽に入学できてしまいます。私は「これはいける」と思い勉強しなくてもいいやと思いました。

結果が高校2年生の12月の定期テストで数学赤点です。
これはヤバいということで冬期講習を始め、受験勉強を始めたのが高校3年生でした。私の学力は高校入学時点で止まっていました。これを1年間で大学入学するために色々対策を立てました。

まず初めにしたことは、目標立てです。真っ先に第一志望を決め、それに向けて頑張ろうと思い込むことにしました。何となくかっこいい国公立大学に行こうと思い、横浜国立大学にしたのは、東工大以上の大学だと難しすぎて折れてしまいそうだったため、頑張れそうな中で1番偏差値が高かったのが横浜国立大学でした。まあ、もちろん近いというのも理由ですが笑。そして化学生命系学科にしたのは、1番得意なのが化学だったことと実験が好きだったためです。

次に勉強の年間計画を立てました。1番苦手な英語は地道にやるしかなさそうだから、毎日やる。数学は夏休み前までにfocusgold2周それ以降はよく間違える問題の周回、得意な化学物理は夏休み入ったら問題集たくさん周回する。つまりは、つべこべ言わずに遅れを取り戻せるように苦手分野をたくさん勉強しました。

第三にスマホとの距離のとり方の工夫です。私はスマホ大好き人間なため、規制することにしました。昼の12時~13時、夜の21時~22時を使って良い時間とし、残りは理由なしには触らないことにしました。

今思い返すと、成績がだんだん良くなってる感覚があり、遊び暮らした高校12年の時よりも、勉強ばっかしてた高校3年生の時の方が充実してたように感じます。大学入学出来たのはこととき頑張ってくれた自分のおかげですね、ありがとう。

以上で終わらせますね。他にも書こうと思ったこともあるのですが、国語が苦手で文章がまとまりそうにありません笑。読んでいただきありがとうございました。

2019年12月1日日曜日

リレーコラム⑩

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第9回は小林先生につづき、小寺先生の登場です。





高3のころ考えていたこと



小寺です。

私が大船に来てから約半年、みなさまいつもありがとうございます。

私が高校3年生の頃は20年前くらいになりますね。

たまごっちというものが流行っていて、、知っていますか?皆さん。



さて、私は無事大学生にはなったのですが1年浪人してから大学に入りました。

なので勉強に本腰を入れるまでそれだけの時間を要してしまったということですね。

成功例は現役で見事に合格したアドバイザーのみなさんのコラムを是非参考にしてください!



私が話せるのは失敗談ですね。



そんな私が高校3年生のころに考えていたことは「受験が早く終わらないかな」と思っていたことです。今のみなさんの頑張りを見ていると本当にすごいなと日々思います。何となく時が過ぎていけばなんとかなるだろうと常に思っていました。中途半端にまじめだったので友達と一緒に夜まで学校にいて自習をする日々をおくっていたのですが単語帳を“眺めたり”、時間をかけて少ない量の問題を解いたり、寝てみたり、休憩時間を楽しみにしたり。藤沢図書館で卓球をしたりした記憶しかない、、



さて、そんな私がそのまま受験を迎えたらどうなったでしょう!?



志望校も先生になりたかったはずなのに、なんとなく法学部とか商学部とかを受け、

もちろん全滅で1月くらいからもう翌年の予備校を探し始めるということをしていた記憶があります。今思うのは、やるべきことをやらないと大学入試は何とかならないこと。時がたつのを待っているような勉強方法をしていては成績なんてあがるはずがないということですね。もう1年受験した時は充実していたのでまだまだ受験勉強していたい!と本気で思っていました。基本的に本腰を入れるのが遅いので大学に入ったらまた色々行動が遅くなって就職にまた苦労することになったんですけど、それはまた別の話ですね、、



もし少しでも参考になることがあれば嬉しいけど、無いかも。。。( ノД`)



さて後少し、困ったことがあったらいつでも相談してくださいね。



小寺より