2019年8月22日木曜日

リレーコラム②

河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


第2回は1年生の戸﨑先生(慶應義塾大学・薬学部)です。



3のころ考えていたこと                     

1年 戸﨑舞衣子

文才に長けた櫻井先生の直後でだいぶ緊張しているが、
今回は私、戸﨑舞衣子が昨年考えていたことを振り返ろうと思う。

私は6年生時に国試を受け、薬剤師になるべく現在薬学部に通っている。
小さい時から人体に興味があり、且つ中学生で化学の面白さに気づいてから
薬学部一筋で今日まで来たわけだが、
昨年受験生ながら特に考えていたのが薬剤師としての在り方だった。

まだ国試すら受けてないのに、何を...!
と思う方もおられるかもしれないが、
如何せん第一志望の小論文で何年も前からこのテーマが設定されており、
やはり人の命を預かる職業である故に考えざるを得ないことであると実感していた。

皆さんはチーム医療と医療チームの相違をご存知だろうか。
前者は複数の専門職が文字通り連携を促進し取り組む医療、
後者は一つの目的のために形成されたチームを指す。

近年国際規模で将来様々な職業が人口知能に淘汰されると言われているが、
その中でも薬剤師は消滅しにくい部類に含まれる。
それは構造が複雑な薬を扱う職業であるからなのではなく、
多職種との連携、患者との信頼関係が存在して初めて成立する職業であるからだ。

そのようなわけで日本では数年前から盛んにチーム医療を導入する働きが行われ、
私も薬剤師になろうと確信した高1の頃はぼんやりとチーム医療で貢献しようかな...くらいにしか考えていなかった。

しかし小論文の対策を始めた昨年の春頃、
薬剤師の魅力とでも言おうか、自分のなりたい薬剤師像を掴むこととなった。
単なる“チーム医療の一員として働きたい”は誰にも言える言葉であり、
高い学費を出してもらう両親のためにも自分はどのような
薬剤師になりたいのか色々考えた。

薬学だけでなく在宅医療、終末期医療、移植、iPS細胞、
優生思想、ゲノム、サイコパス、人工知能などに及ぶ
あらゆる書籍を読み漁り最終的に行きついたのが以下である。
“患者をトータルに診られる薬剤師になる”ことだ。

薬は大抵身体に不具合を抱える人に与えられるもので、
服薬指導などは薬剤師にしかできないことだが、
そもそも“患者=病人”として診るのではなく、
“患者=人間+病気”と捉えることで服用に限らず、
患者のその後の人生を視野に入れた医療を提供することが出来る。
そしてそのためには専門分野を生かすだけでなく、
先述したようにチーム医療によって他の医療従事者と連携することで、
多方面から患者一人一人の生き様に沿った医療を展開できる。

換言すると、
私は“薬を服用する患者目線で医療を提供できる薬剤師”を目指そう、
という結論に至った。
今はまだ高校の授業を延長したような講義しか受けていないが、
昨年定めた薬剤師像のおかげで一つ一つの実習も毎回学びが多く、
大学生活は非常に充実している。
これからの経験によって今後薬剤師像が変わるかもしれないが、
将来を見据えて向き合えた高3の一年はきっと自分の財産の一部だと信じ、
今も有機の参考書と戦っている。
ご精読有難うございました。


2019年8月2日金曜日

リレーコラム①


河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
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テーマは「高3生の頃考えていたこと」


記念すべき第1回は櫻井先生におねがいしました。



2014年、遡ること5年前の高校3年生の櫻井青年は、
いったい何を考えていたのであろう?

「アフリカ」から「ラテンアメリカ」そして「世界」という3つの軸を中心に思い出してみる。念のためここで少し櫻井という人間のバックグラウンドを述べておこう。私は「ウルグアイの帰国子女」なのである。それも、20代の3年間をパラグアイで過ごした父&英米文学科卒の母を持つ、根っからの「グローバル・ボーイ」なのだ。というわけで、私が「外交官」「国連系」を幼少期から目指していたのは、偶然ではなく必然であったと言えるだろう。そして、いつかは「世界を変える!」「貧困・飢餓をなくす!」なんていうデカいことを考えていた。

 とはいえども、その夢を抱いた小3から、様々な葛藤などがあり、何度もよそ見をしてきた。そんな櫻井青年は高校3年の夏に大きな決断をした。「何になるか迷っている時間はない、とりあえず“アフリカ地域”について学ぼう。英語・フランス語・スワヒリ語も学ぼう。そして、2年間アフリカの国で一生懸命学ぼう!」そう決意した。目の前にあることを必死にこなせば、外交官でも国連職員でもNGO職員でもなれる!とにかく、自分は「国際系で日本で一番の大学に入る!」そして夢を実現すると誓ったのだ。

 しかし、同年にあの「エボラ出血熱」がアフリカの一部地域で大流行した。更に、ナイジェリアを拠点とする「ボコ・ハラム」の活動の拡大。受験生の多くがおそらく気に留めることなく、勉強をしていたであろうが、一言では言いあらわせない動揺が私を襲った。文字通り「眠れぬ夜」もあった。「アフリカ地域専攻で本当にいいのか??」すごく悩んだ。ここでは理由の詳細は省くが、とりあえず最後の最後に「ラテンアメリカ地域専攻」に変えた。別に逃げたわけではない。「留学で家族に心配をかけたくない」、「きっと日本に帰らず退学してしまう」そう思い、志望専攻を変えた。無事、合格!万歳!

 「なぜラテンアメリカにしたのか?」と聞かれたら、正直に答えよう「昔住んでいたから」、「ラテンのノリが好きだから」が答えだ。というのは、半分冗談で半分本気。御幣を招きかねないから一応説明すると、「アフリカにこだわることない、ラテンアメリカ地域専攻でもやりたいことはやれる」と気づいたからだ。という経緯で、私は「ラテンアメリカ地域専攻」になったのだ。どの地域を専攻にするにせよ「いつか世界をフィールドにして働く!」「そして、世界の貧困・飢餓・差別をなくす!」と改めて自分と約束をした。

 これが「高校3年生の頃」櫻井青年が考えていたことだ。
ちなみに今私は「開発経済学」を学んでいる。気付いたら、自分の夢の実現に近づいている、そんな気がする。いや、そう思いたい。