2019年8月2日金曜日

リレーコラム①


河合塾マナビス大船校のアドバイザー&アシスタントアドバイザーによる
リレーコラムを掲載していきます。

テーマは「高3生の頃考えていたこと」


記念すべき第1回は櫻井先生におねがいしました。



2014年、遡ること5年前の高校3年生の櫻井青年は、
いったい何を考えていたのであろう?

「アフリカ」から「ラテンアメリカ」そして「世界」という3つの軸を中心に思い出してみる。念のためここで少し櫻井という人間のバックグラウンドを述べておこう。私は「ウルグアイの帰国子女」なのである。それも、20代の3年間をパラグアイで過ごした父&英米文学科卒の母を持つ、根っからの「グローバル・ボーイ」なのだ。というわけで、私が「外交官」「国連系」を幼少期から目指していたのは、偶然ではなく必然であったと言えるだろう。そして、いつかは「世界を変える!」「貧困・飢餓をなくす!」なんていうデカいことを考えていた。

 とはいえども、その夢を抱いた小3から、様々な葛藤などがあり、何度もよそ見をしてきた。そんな櫻井青年は高校3年の夏に大きな決断をした。「何になるか迷っている時間はない、とりあえず“アフリカ地域”について学ぼう。英語・フランス語・スワヒリ語も学ぼう。そして、2年間アフリカの国で一生懸命学ぼう!」そう決意した。目の前にあることを必死にこなせば、外交官でも国連職員でもNGO職員でもなれる!とにかく、自分は「国際系で日本で一番の大学に入る!」そして夢を実現すると誓ったのだ。

 しかし、同年にあの「エボラ出血熱」がアフリカの一部地域で大流行した。更に、ナイジェリアを拠点とする「ボコ・ハラム」の活動の拡大。受験生の多くがおそらく気に留めることなく、勉強をしていたであろうが、一言では言いあらわせない動揺が私を襲った。文字通り「眠れぬ夜」もあった。「アフリカ地域専攻で本当にいいのか??」すごく悩んだ。ここでは理由の詳細は省くが、とりあえず最後の最後に「ラテンアメリカ地域専攻」に変えた。別に逃げたわけではない。「留学で家族に心配をかけたくない」、「きっと日本に帰らず退学してしまう」そう思い、志望専攻を変えた。無事、合格!万歳!

 「なぜラテンアメリカにしたのか?」と聞かれたら、正直に答えよう「昔住んでいたから」、「ラテンのノリが好きだから」が答えだ。というのは、半分冗談で半分本気。御幣を招きかねないから一応説明すると、「アフリカにこだわることない、ラテンアメリカ地域専攻でもやりたいことはやれる」と気づいたからだ。という経緯で、私は「ラテンアメリカ地域専攻」になったのだ。どの地域を専攻にするにせよ「いつか世界をフィールドにして働く!」「そして、世界の貧困・飢餓・差別をなくす!」と改めて自分と約束をした。

 これが「高校3年生の頃」櫻井青年が考えていたことだ。
ちなみに今私は「開発経済学」を学んでいる。気付いたら、自分の夢の実現に近づいている、そんな気がする。いや、そう思いたい。